2004/06/19

bitter sweet

陽光から発せられた熱を、冷たい風が呆気なく奪ってゆく。
北から吹くその風は、冬の匂いがした。
もうすぐこの公園の景色も、雪の沁みるような白さに塗りつぶされるのだろう。
その白さの予兆のような自分の吐く息に、瑛は首をすくめた。
ギシ、と、彼の座るブランコが音を立てる。
ふと思い出したように、彼はコートのポケットから透明なビニールに包まれたそれを取り出す。
焦げた茶色の、甘い匂いを持つ塊。
手の中に納まるほど小さなその塊をビニールの包みから取り出し、口に放り込む。
ガリ、と噛むと、特有のほろ苦い甘さが口に広がる。
彼がもともと嫌っている味だ。

だが、それだけではない、寂寥感とでも言うべきものが、彼の端正な顔を歪ませた。


あいつ、からは、いつもこの匂いがした。



白く、薄暗い廊下が、暗がりに向かって伸びている。
照らし出すはずの蛍光灯の光も、小春日和の陽光には適わず、影に身をやつしている。
覗き込む病室はどれも異様な白さを放ち、一瞬目が痛くなる。
その眩しさに耐えられない患者は、淡いグリーンのカーテンを引いて、
中でじっとしているらしい。
戸が全開になった6人部屋の病室が続く病棟内に、同じく全開された窓から風が吹いた。
「このところ涼しかったから、クーラーも止まっちゃったしねぇ」
「それにしてもこんなに暑くなるなんて…」
大声で話す中年女性患者の声が、病棟内に響く。
それを不快に思いながら、病室のナンバーと名前を横目で確かめる。

『樋口静羅』

白のボードに黒で書かれた名前を捉えると、瑛は中を覗き込んだ。

一陣の風が吹きぬける。

他に患者のいない広すぎる部屋の一番奥に、彼の姿はあった。
白いベッドの上に、上体を起こし、窓の外を見ている。
瑛が来たことには気づいていないようだった。
薄い色素の髪が風に流され、細い首筋が見えた。
病院支給の白いジンベエの胸がはだけて、彼の白い肌を露にしている。
「樋口」
瑛が声をかけると、華奢な体で彼は静かに振り返った。
樋口、と呼ばれた彼は、瑛の顔を捉えるとまじまじと覗き込んだ。
「あれ、玉環君・・・だよね?何でこんな所にいるの?」
「見舞い、来たら変か?」
瑛は後ろ手に持っていた色とりどりの紙の鳥を掲げてみせた。
「ほれ、千羽鶴」
彼、樋口静羅はそれを受け取る。
「あは、本当は何羽?」
「50羽。持ってた折り紙分だけ」
瑛がそう言うと、静羅が可笑しそうに笑った。
「ありがとう。うれしいよ、飾っとく」
そういってサイドボードに50羽の鶴を置く。
風が吹いて、それがガサッと音を立てた。
「それにしても、珍しく人が来たなぁ。あ、学級委員長、だっけ?」
まあな、と短く応えて、瑛は学校帰りの鞄から何冊かノートを取り出した。
「?これ・・・」
「近江からだ。授業のノート。今月分な」
静羅はそのノートを受け取ると、表紙の名前を確認する。
近江加絵。
玉環瑛ともう一人、女子の学級委員の名だ。
「・・・近江さんは?」
「あぁ、あいつ、引っ越したんだとさ」
「・・・そうなんだ・・・どこに?」
「さあ、そこまで聞かなかったな」
言葉を濁した瑛に、静羅の表情は一変した。

「・・・嘘。死んだんだろ?」

氷のような突き刺す瞳で、口元に悪魔的な笑みを浮かべ、瑛を睨み付ける。
瑛は内心たじろいだが、表情には出さなかった。
「・・・さあな。俺が聞いたのは、それだけだ」
憮然とした態度で応えると、静羅は元の柔らかい表情に戻った。
「相変わらず、玉環君は変な人なんだね」
「お前に言われたくねえよ」
静羅はひとしきり笑うと、手渡されたノートと教科書を順々に眺め始めた。
瑛は椅子を引き、静羅の隣に座る。
吹く風にめくれる頁を、鬱陶しそうに払いながらノートを読んでいる静羅を横目に、
空を見る。
白みがかった青い空は、まさに秋の空だった。

**
瑛が静羅と話すようになったのは、静羅が入院するようになる3ヶ月前からだった。
元々体の強くない静羅は、周りの誰からも相手にされていなかった。
高校に進学したての当初、他学区から来ていた瑛には理由もわからず、
クラスの中で唯一居心地の悪くない相手だった静羅とつるんでいた。
しばらくして、静羅と同じ中学だったという人間から話を聞いたとき、
静羅が遠巻きにされている理由がわかった。

「あいつ、エイズなんだよ」

子供の時に事故に遭い、そのとき受けた輸血の中に、エイズウイルスが入っていたと言うのだ。

「そんでさ、あいつ、自分の母親殺したらしいぜ」

静羅がまだ発症していなかった頃。
彼の母親は何らかのきっかけで彼の血を体に取り込んでしまったらしい。

彼女は2年前に他界していた。

エイズ―HIV(ヒト免疫不全ウイルス)は、そもそも感染能力が極めて弱いウイルスだ。
体内に潜伏する期間は6ヶ月~10年。
発症時期には著しい個人差がある。
性交、もしくは血液、血液製剤を体内に取り込まない限り、感染する恐れはない。
周囲の人間も瑛も、その程度の知識は持っている。
しかし、母親の感染、死のせいで、彼らの中の保菌者は脅威になった。

「あいつには近づかないほうがいい」

偏見と差別に満ちた言葉が、辺りに充満する。
瑛にも何度かおろかな忠告があった。
耳を貸さないでいると、いつしか、誰も近寄らなくなっていた。

しかし、瑛はそれでも良かった。

感染する能力の弱いウイルスや、それに怯える人間など、どうでも良かった。
そんなことよりも彼にとって重要だったのは、静羅の傍にいることだった。
静羅の周りの空気は、驚くほど居心地が良かったのだ。

だが、間を置かず瑛は、静羅と距離を置くようになった。


***
甘い匂いで、目が醒めた。
瞳を開くと、真っ先に自分の足が見える。
強張った首を持ち上げると、薄紅く染まった白いベッドが目に沁みた。
「あ、起きたね」
含み笑うような声が聞こえ、瑛はそちらを振り返った。
「あはは、変な顔!なに寝てんだよ~」
可笑しそうに笑っている静羅に向かい、瑛は不機嫌に言った。
「それよりなんだよ、この甘ったるい匂いは・・・チョコレートか?」
「あ、バレちゃった?好きなんだ、チョコレート」
ファミリーパックの袋に入ったチョコレートを持ち上げて見せると、瑛はあからさまに嫌な顔をした。
「相っ変わらず甘党なお前。よく食えるよ、そんなモン」
「看護師さんには内緒だよ。食べる?」
いたずらっぽい顔で言う静羅。
「・・・イヤガラセか?」
睨む瑛に静羅は軽く笑い、そして沈黙した。

冷たい夜の風が入ってきた。

「寒くなってきたな。窓、閉めるぞ」
立ち上がり、ベッドを回って窓の前に立つと、静羅がその動作を見ているのが判る。
窓を閉め、静羅を振り返るともうこちらには視線はなかった。
「なんだよ?」
不審に思い訊ねるが、返答はない。
「・・・樋口?」
「・・・・・・・・・」
「樋口」
「―――なんで『樋口』って呼ぶの?」
思い切ったような真っ直ぐな視線を受け、瑛は押し黙る。
「なんで・・・って」
「入院する2週間くらい前までは、『静羅』って呼んでたじゃないか」

『どうしてダメなの?』

一瞬、瑛の脳裏に「彼女」の姿がよぎる。
「別に深い意味はねえよ・・・口きかない時期があったから、呼びづらかっただけだ」
「じゃあどうして急にくちきかなくなっちゃったの?」
突き刺すような視線をそのままに、静羅は追及する。
「入院する2週間前からこっち1ヶ月。どうして1度も話をしてくれなかったの?」
「・・・・・・」
今回は学級委員の仕事だったみたいだけど、言って、静羅は続けた。
「来てくれて、本当に嬉しかったんだ。前みたいに戻れるって」
瑛は答えない。
言葉を宙に探すが、適切な言葉が見つからない。
ふいに、静羅がため息をついて、言った。
「・・・病気の、せい?」
「! 違う!」
『病気』という単語を聞いただけで、反応してしまう。
どれだけ、その言葉で彼が傷つけられただろう。
どれだけ、その言葉を耳にしただろう。
彼を傷つけるその言葉を、瑛は嫌悪していた。
「そうじゃないんだ、ただ・・・」
「だよね。『お前エイズなんだって?』なんて本人に訊いてくるくらいだもんね」
冗談めかしてそういうと、静羅はいくばくか柔らかくなった眼差しを瑛に向けた。
「で?」
「・・・あ?」
「『ただ・・・』なんなの?」
「あ、ああ・・・ただ・・・」

『ただ・・・』

(あれ・・・何言おうとしたんだ?)
さっきまで口に出そうとしていた言葉が、記憶から抜け落ちている。
(確か・・・『あいつ』のことを言おうとしてたような・・・)
そこまで考えて、瑛は思考をやめた。
考えてはいけないことのような、気がする。
「忘れた」
「はあ?」
「忘れたから帰る。少し長居しすぎた」
「ちょ、ちょっと玉環く・・・」
立ち上がり、立ち去ろうとする瑛を呼び止める静羅。
それに応えてか、振り向きざまに薄く笑って瑛は言った。

「じゃあな、静羅」

久々にその呼び名を口にすると、瑛は出口へと向かった。
静羅はそれに一瞬ぽかんとしていたが、すぐに我に返った。

「瑛!」

――――瑛がその呼び名で呼ばれるのも、久々だった。
「明日もまた・・・来てくれるかな」
声に振り返った瑛は静羅の申し出に笑顔で答えた。


****
静羅から離れるようになったきっかけは、彼が入院する2週間前のことだった。
夏休みも終わってすぐの頃。
静羅と約束があった瑛は部活もそこそこに教室に戻った。
夕暮れながらも、陽射しは強い。
教室の中に人影を見つけて瑛は声をかけようとした。
・・・止めたのは、人影が2つだったからだ。

「私、樋口君が好きなの」

臆面もなく言う声には、聞き覚えがあった。
(近江、加絵・・・?)
立ち聞きをする気はないのに、足が動かない。
「返事を今聞くつもりはないの。ただ・・・」
影が、一瞬重なった。
加絵は、静羅の唇に自分のそれを掠めると、つい、と離れた。
「これだけは、貰っとくね」
何の躊躇いもなくそれだけ言うと、加絵はもうひとつの出入り口から出ていった。

「何で逃げなかったんだ?」
出入り口に立ったまま、瑛は静羅に声をかけた。
「瑛」
静羅は瑛を見て少し驚いたが、少し笑って、息を吐いた。
「見てたんだ・・・逃げられる状況じゃなかっただろ?女の子って怖いね」
「あいつは別次元を生きてる・・・」
「だね」
「で?どうすんだ?答え」
瑛の言葉に、静羅は、並んで立つと頭一つ大きい瑛を見て、俯いた。
答えない静羅に、意味のわからない苛立ちを感じた。

それがきっかけだった。


静羅が入院して1週目に、近江加絵は彼を見舞いに行った。
答えを、聞きに行ったらしい。

「どうして、ダメなの?」

加絵は、静羅ではなく、瑛にその言葉を吐いた。

「わかってたけど・・・でも、どうして私じゃダメなの・・・?」


まとめたノートを渡すように言われたのは、3日前。
彼女が引っ越す直前だった。
以前から決まっていた引越しらしかった。
彼女が、大胆な行動に出た理由が、解った気がした。

(ああ、本当に静羅のことが好きだったんだ・・・。)

瑛の前で泣き崩れる彼女。
面と向かってはとても手渡せないと言う、嘘のように消極的な彼女。

(俺も、こんな風になるんだろうか・・・)
ふと、静羅の顔がよぎった。

(好き・・・?)

自分の思考に、驚く。

誰が?

誰、を?


*****
小春日和は1週間続いた。
「気分がいいんだ。外に出ようよ」
静羅がそう言うので、瑛はそれに付き合わされた。
陽射しが暖かい。
しかし、昨日よりは少し寒くなったようだ。
「綺麗な空だねー」
見上げた空には、うっすらとうろこ雲が見えた。
黙っている瑛を特に意識もせず、静羅は言う。
「・・・近江さんさ、君に、何か言ってた?」
静羅の視線を意識しながら、瑛は静かに答える。
「いや、別に、何も」
「そう」
短い会話の後、人工的に植えられた木立ちの下にあるベンチに座る。
注ぐ陽射しが、紅くなりかけた葉に濃い陰影をつける。
風が吹き、木々のざわめく音が耳に優しい。
静羅も黙ったままでいる。

(やっぱり、静羅の傍は居心地がいい)

そんなことを思っていると、静羅がふいに沈黙を破った。

「近江さんにキスされた時さ、僕、唇切れてたんだよね」

沈んだ声で言う静羅を、瑛が驚いて見やる。
「それって・・・」
「うん、感染った・・・かもしれないよね」

頭の中を、ザァッ、と音が駆け抜ける。

「でも、顔色も普通だったし」
「発症までには時間がかかるんだよ」
必死に言い訳じみたことを言うが、静羅はあっさり切り捨てる。
そして、ひとつ息をつく。
「発症しない場合も、あるけど・・・」
感染したことには変わりはない。そして、それは自分のせいだ。
言外にその言葉を滲ませて、瑛から視線を逸らす。
「体重が減って、下痢になって、体の肉が削ぎ落とされていくのが目に見えて解るようになる。
・・・まぁこれは併発の病気のせいだったりするんだけど」
自嘲気味に嗤って、静羅は続ける。
「僕はもともと身体が弱い。今まで生きてこられたのが奇跡みたいだ・・・。
    ・・・だからこそ、余計に不安になる。いつ、この命が途絶えてしまうのか」

空を見上げる。

「怖いな・・・死ぬのは」

「・・・うん」
答える術もなく、瑛はただ頷く。

「息が止まる瞬間は、やっぱり苦しいのかな。心臓が止まる瞬間、何考えるんだろう。
・・・魂って、あると思う?」

「・・・さあな」

「無いといいな。僕はもう、耐えられない」

何に、と訊ねられるのを拒絶するかのように、静羅は黙ったまま瑛の肩に頭を乗せた。
瑛は、されるままにしている。

「瑛」

呼ばれてふと静羅を向く。
――――チョコレートの匂いが、した。

甘い匂いが頭の中を駆け巡る。
唇の先の柔らかい、何か。
目の前に見える顔は、静羅の筈だ。
―脳の芯が甘く痺れる―

一瞬で、ぼんやりしていた静羅の顔が明確になった。
「静羅・・・?」
まだ痺れの取れ切れない頭で、何が起こったのか把握しようとする。
何も、考えられない・・・・・・。

「好きだよ、瑛」
どこかはっきりしない感覚の中、静羅が呟くように・・・絞り出すように、言った。

「ずっと、好きだった」

唇が熱に浮かされ、自分のものではないようだ。
思考が混乱して、思う言葉は言葉にならずに、何も言えない。
その状態を知ってか知らずか、静羅は微笑った。
「あのときの僕の感覚、解ったろ?」
もう一度、軽く唇を重ねると、静羅は立ち上がった。
「返事を貰うつもりは無いよ。でも、もしも応えてくれる気になったら・・・」
風の音と共に、静羅が振り返った。

「明日、また来て」

風は、言葉を攫って行った。


******
雨が、降っていた。
獣の呻きの様な音が、空を支配している。
静羅のいない学校はいつでもつまらないと思っていたが、今日は一段と授業に身が入らない。
ゴロゴロという声が、真っ黒な不安になって、瑛を浸食していく。
(不安・・・?)
何が不安なのか、と聞かれても、判らない、としか答えられない。
昨日の静羅の言動に対しての動揺なのか、それに返答することへの恐れなのか・・・
(違う)
これは不安、では無い。
―――昨日の静羅の言動は、近江加絵を彷彿とさせた。

(嫌な、予感がする・・・)

犬も猫も降ってくるような雨が、窓に叩きつけていた。


一通り降りしきると、雨は午前のうちに止んでしまった。
午後は、あの大雨が嘘だったように快晴。

しかし、瑛の胸のうちは晴れず、靄の様なその感情に押し流されるように、病院へと走る。

―――嫌なこと、ばかりが、頭の中を駆け巡る・・・。


「嘘、死んだんだろ?」
自分の噂に対する皮肉だと思っていたあの言葉は、
そのまま自分の病気への恐怖の表れではなかったのか?

「好きなんだ、チョコレート」
甘党だったのは、極端に減っていく体重から来る不安を和らげるためではなかったのか?

「僕にはもう、耐えられない・・・」

どうして、昨日、あんな・・・


「怖いな・・・死ぬのは」

「静羅!!」
飛び込んだ病室からは、何の反応も無かった。
一人が入っているだけには広すぎる6人部屋。
カーテンに遮られて、奥のベッドの様子がよく見えない。
それでも、人影が見えた。

・・・気が、した。

あわてて取り払われたような布団が、立ち上がって人影のように見えたのだ。
ベッドの傍まで来て、名札を見る。

―――何も、書かれていなかった。

「すいません、樋口静羅は病室を移動したんでしょうか」
ナースステーションに駆け込み、瑛は噛み付きそうな剣幕でまくしたてる。
「あ、あなたは・・・」
何度か見かけたことのある看護師が、瑛に声をかけた。
「最近よく樋口君のところに来てた人ね。・・・今日も来てたんだ」
看護師は気まずそうに言葉を濁した。
それに気づく余裕も無く、瑛は焦れたように急かす。
「あいつは、静羅はどこですか!」
そんな瑛に、看護師は間を置いて、気を取り直したように、言った。

「樋口静羅さんは容態が急変し、本日11時35分に死亡を確認されました」



母親以外に身寄りの無かった静羅は、奇しくもその母親の保険で葬式を挙げることになった。
喪主は担任の教諭が引き受けたらしい。
唯一瑛に手渡されたのは、静羅が始終手放さなかったチョコレートの包み。

―――死に顔を見る気にはなれなかった。

葬式は着々と進んでいる。
学校の人間が強制的に参加させられているが、死者を悼む気は無いようだ。

霊安室で、一度だけ見た静羅の顔が、目に焼きついて離れない。
異様に白くて、・・・そして、冷たかった。


式を抜け出し、ひとりになるために近くの公園に出掛けた。
通夜には、誰がなんと言おうと参加するつもりでいるが、今は人がたくさん居すぎる。
参列者が吸う煙草と、線香の匂いが体にまとわりついている。
それを消そうと、冷たい風の中を一番奥にあるブランコのところまで早足で歩く。

鎖で繋がれたプラスチックの板に腰を置くと、ひやりと冷たかった。
肌の冷たさを連想させて、少し泣きたくなる。


陽光から発せられた熱を、冷たい風が呆気なく奪ってゆく。
北から吹くその風は、冬の匂いがした。
もうすぐこの公園の景色も、雪の沁みるような白さに塗りつぶされるのだろう。

(あいつのように、この世界は死の世界になる・・・)

その白さの予兆のような自分の吐く息に、瑛は首をすくめた。
ギシ、と、彼の座るブランコが音を立てる。
ふと思い出したようにコートのポケットから出したのは、彼の形見とも言えるチョコレートの、ひとつ。
小さな焦げ茶色のその塊を、口の中に放り込む。
ガリ、と噛むと、特有のほろ苦い甘さが口に広がる。
その匂いは、そのまま彼を連想させる。

(伝えられなかった・・・)
ビタースウィートを噛み締めながら、彼は、想う。

伝えたかった、言葉があるんだ。

幻でも幽霊でも、お前が嫌った魂でもいい。

―――此処、に・・・―――

瑛は、式に戻ろうと、ブランコから立ち上がる。
彼が去ったブランコは、ひとり、誰を乗せる当てもなく、音を立てて揺れている。

――――凄まじい、車のブレーキの音が響いた。

ブランコは、揺れるのを止めた。

bitter sweet END

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