« インフルエンザ。 | トップページ | 休日が終わってしまった… »

2004/11/17

言葉の力

久々にお休みが出来ました。
今日はうちの大学の推薦入試の日だそうで、色々と休講になって、私のとっている授業は全部お休みです。
ここのところ体力的にも精神的にも少し追い詰められていたのでとてもありがたいです。
思いっきり引きこもり生活しています(笑)よく寝た!

なので、今日これから色々更新もしようかと思っています。
このところパソコン開く余裕もなかったので。

そして…
えーと、階段から落ちました(笑)
靴下が滑ってずべっと。
宙に浮かびましたよ。
一瞬走馬灯見えたんですが私生きてますよね?(おいおい)
尾てい骨、もし骨折してたら3回目なんですけど…(よく転ぶな…)

今回の議題(?)
言葉の力です。
私は言葉を書くのが好きです。
日本語がたまらなく好きです。(しかし英語は苦手ι)
でも、嫌いな言葉もあります。
それは、思想がもたらす言葉ですが…

「どうして私だけ…」

と言う言葉です。
うちの父なんかは、「どうせ私なんて…」と言う言葉が嫌いらしいですが、私は特にそうは思いません。
卑屈にならない人間なんていないし、いたらそれはただ自信家か気付いていないだけかそう思わないように努力している人かのどれかだと思います。
それよりも、私は「どうして自分だけこんな目に会わなきゃいけないんだ」と言う言葉が大嫌いです。

「私は辛い」「私だけ人と違う」「私だけ不幸だ」

全て同義です。

昔、私は友達に言われたことがあります。

「私はこんなに辛いのに、どうして誰も助けてくれないんだろう…なんで私だけこんな目にあうんだろう…」

当時、中学一年。
そのとき、彼女はクラスの人たちから省かれていました。
ちょっと性格に難ありと判断されたのでしょう。(多少そういう部分もありました)
それでも、彼女の近くに私はいたし、友人も何人か彼女の近くにいました。

一方私は、その頃ヤサグレまっしぐらで(笑)
一匹狼的なポジションが非常に楽な時期でした。

いじめには、私も遭ったことがあります。
小学校3年の時です。
…まあ色々ありましたが、その頃のクラスメイトに聞いたところで「え?そんなのあった?」ときっと言い出すでしょう。
たとえ、ゴミ箱かぶせられたり、画鋲を投げられたり、(男子)ビニールを飲まされそうになったり(女子)していても、彼らの記憶には大して残っていないでしょう。(今思い出しても四面楚歌…)
いじめっていうのはそういうものです。

それ以来、なんだか女子のグループとか友達とかに依存するのに嫌気が差していたんですね。
だから、どのグループにも属さずにふらふら友達を作っていたのです。
今でもそうですが。
そんな自分が好きです(笑)

とにかく、「自分が辛い」と臆面もなく言ってしまえる彼女は、昔四面楚歌だった私よりは断然いい状況にいたわけです。

でも、私はいじめられていた当時、どういうわけか「どうして私だけ」とは思いませんでした。
「どうして助けてくれないの?」とも思いませんでした。
というか、それは誰かに助けてもらうことで解決するものだとは思っていなかったのです。
誰かに助けてもらうってどういうことなのかわからなかったのです。

そして、どうやればこの状況が解決されるのか解らない以上、誰かに助けてもらうのは不可能だと思っていました。
だから私は、どうすれば彼女が救われるのか解りませんでした。
助けを求められた時点になっても、助けることの内容が理解できなかったのです。
そして、その言い方はずるい、と思いました。
少し頭にきてしまったのです。

なのでその時私は、

「じゃあ、あなたは誰か助けたの?」

と返すに留めました。

彼女はぐっと詰まって、しかしその後、
「ああ、そっか、そうだよね…そういうことだよね」
と納得したようでした。

彼女がどういう結論を自分の中で見つけたのかは解りませんが、納得できたなら良かった。
自分で見切りをつけられると言うことは、どんな助言より自分を強くする要素だと思います。
どんな慰めも、受け入れられなければただの宙に浮いた言葉でしかないですから。

人が苦痛を感じるのって、みんな同じ感覚だとは思えないんですよね。
私にとっては全く苦痛に感じることでなくても、ある人にとっては生死にかかわる苦痛だったりするわけです。
またその逆もあるわけで。
だから、みんな「自分だけ」の苦痛に耐えているんだと思います。

練習を頑張っていたのに事故で試合に出られなくなってしまったり。
培ってきたものを、自分とは関係ない理由で全て失ってしまったり。
苦痛は色々です。

しかし、それは自分の心で見切りをつけない限り、己が救われないのです。
救われない気持ちになるのは、誰かのせいでなく、自分の心しだいなのです。

それを、「自分だけが不幸だ」と思うのは、
「他の人は大丈夫なのはずるい。助けてくれるべきだ」と言っているのと同義だと思うのです。

ああ、こんな時は宗教とは便利なものですね。
こんな面倒なことを考える必要もなく、ただ「これも神のお導きです」と言えばいいわけですから。
そして、「信じる者は救われる」のですよね?
心の補強には十分な言葉です。
こういう点は宗教の素晴らしい点だと思います。
確かにこれは理にかなった宗教というツールの使い方だと思います。

こういうのだけならいいんですけどね・・・

これも言葉の力ですかね。
宗教は言葉と信心で出来ていますから。

長々と書いてしまいましたが、なんとなくこの言葉を最近聞くので書きたくなってしまいました。
なんか文章変な気がしますが、自分でも混乱してるような気がするのでこんがらがってたらすいませんι

|

« インフルエンザ。 | トップページ | 休日が終わってしまった… »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/38608/1986579

この記事へのトラックバック一覧です: 言葉の力:

« インフルエンザ。 | トップページ | 休日が終わってしまった… »